LOGIN直希からの突然の誘いに、あおいは動揺していた。
入浴を済ませて部屋に戻ると、何を着ていこうかドレッサーと向き合い、気が付くと一時間が過ぎていた。「駄目です駄目です、今日は早く寝ないといけないんです。明日は早起きして、ちゃんと準備しないといけないんです」
今回の直希の誘いは、告白の返事をする為だと分かっていた。心の準備が出来てなかったあおいは混乱し、赤面して枕に顔を埋めた。
「直希さんもきっと……私が告白した時、こんな感じだったのですね」
人から好意を向けられる。伝える側は心の準備をし、決意し、覚悟を決めることが出来る。しかし伝えられる側は、こんなにも狼狽してしまうんだと改めて思った。
告白する側も大変だ。決意するまで、ずっと悩み続けなくてはいけないのだから。 きっと自分に伝えるまで、直希も思い悩んだに違いない。そう思うとますます胸の鼓動が早まった。その時着信音が響き、あおいは慌てて携帯を手に取った。
しおりからだった。「姉様、こんばんはです」
「こんな時間になっちゃってごめんなさいね。中々仕事が片付かなくて」
「いえいえ、私の方こそメールしてすいませんです」
「何言ってるのかしら、この子猫ちゃんは。あなたから連絡をもらえるなんて、私にとってはご褒美以外の何物でもないんですよ」
「ありがとうございますです、姉様」
「それで? どうかしたの?」
「はいです、その……実は明日、直希さんと出かけることになりましたです」
「それってまさか……デートってことなの!」
「いえいえ姉様、落ち着いてくださいです。告白の返事じゃないかと思ってますです」
声を聞いただけで、あおいの不安な気持ちが伝わってくる。しおりは苦笑し、優しく言葉をかけた。
「しっかりやりなさい、あおい」
「はいです……でも……」
「不
あおいの報告が終わると、直希はマイクを手に続けた。「それでなんですが、これ以上の機会は恐らくないと思いますので、最後にもう一つ、皆さんにご報告したいことがあります」 その言葉に、未だ興奮冷めやらない入居者たちが、再び直希に視線を向けた。「なんだ直希、まだ何かあるのか。小山さんが歩けるようになった、菜乃花ちゃんと兼太くんが付き合うことになった。あおいちゃんが新しい一歩を踏み出した。正直もうお腹いっぱいなんだが」 栄太郎の言葉に苦笑しながら、直希の隣につぐみが立つ。「今ここには、俺たちにとって大切な皆さんが集ってくれました。だから……ここで伝えるのが一番いいだろう、花見が始まった時に、つぐみと話してたんです」「ダーリン、それってまさか」 明日香の言葉に照れくさそうにうなずき、直希が言った。「つぐみのお腹に、その……俺たちの未来が宿ってくれました」 直希の言葉に、辺りが水をうった様に静まり返った。「あ……え? 皆さん?」「直希、言いたいことは分かるけど、変化球過ぎるわよ」「そうなのか」「そうよ、ふふっ……私、妊娠したようです」 つぐみが頬を染めてそう言った。「三か月に入ったばかり、まだまだ体調も不安定なんですが、私たちの元に来てくれた新しい命、大切に見守っていきたいと思ってます」「つぐみには、安定するまでは仕事を抑えるように言ってます。ご不便をかけることもあると思いますが、どうかよろしくお願いします」 * * * つぐみの妊娠報告。 先程まで賑わっていた会場が、長い沈黙に包まれた。 あおいも菜乃花も、栄太郎に文江、東海林も、兼太までもが唖然とした表情で二人を見ている。「あ、あの……皆さん?」 その反応に直希が戸惑い、苦笑しながら頭を掻
「あの、その……皆さん、今日は本当にありがとうございました。今回のお花見、私たちにとっては初めての企画となったイベントでした。色々と不備もあったと思いますが、何とか無事故で終わることが出来て、その……ほっとしてます」 マイクを手に、菜乃花が緊張した面持ちで締めの言葉を口にする。「このあおい荘が出来て一年、本当に色んなことがありました。楽しいこと、嬉しいこと。それに、その……辛いこともありました。 でも私は今、その全てに感謝したいと思います。そして、このあおい荘に出会えて幸せだと思ってます。 これからも皆さん、どうかよろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」 頭を下げると同時に、参加者たちから温かい拍手が送られる。 菜乃花はあおいと顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。「ではここで、直希さんに最後の挨拶をしてもらいたいと思いますです」 そう言ってあおいが直希にマイクを渡す。突然マイクを渡された直希だったが、うなずくと皆の前に立った。「……今回の企画は、あおいちゃんと菜乃花ちゃんに全て任せました。彼女たちにとって初めての大仕事なので、正直この日を迎えるまで、俺もかなり気になってました。 心配はしてませんでした。彼女たちはこの一年で、本当に頼れるヘルパーに成長してくれました。二人によく言ってるのですが、技術は後からついてくる。今出来なかったとしても、心配しなくていい。でも二人には、入居者さんに対する思いがある。それがある限り、彼女たちは世界一のヘルパーなんだ、そう思ってます。 つぐみに支えてもらいながら、何とか立ち上げることが出来たこのあおい荘。そこにこんなに早く、未来の希望が入って来てくれました。その二人の成長が見たい、そう思い、今回の企画となりました。 あおいちゃん、菜乃花ちゃん。本当にありがとう。最高のお花見だったよ」 直希の言葉に、入居者たちから二人に拍手が送られる。「この4月から、菜乃花ちゃんは介護の勉強をす
興奮が続く中、花見大会は始まった。 あおいと菜乃花が慌ただしく場内を動き回り、皆に酌をしていく。 気になった直希が立ち上がろうとするが、その度に「今日はまかせてくださいです」と何度も断られた。 落ち着かない直希につぐみは、「任せたのは直希でしょ。ほら、もっと落ち着いて。私たちも楽しみましょう」と笑った。 今回の花見大会。直希に任されたあおいと菜乃花は、企画の段階から入居者に協力を申し出ていた。 施設での催しごとに利用者も協力する。そこに必ず意義がある、そう思っての行動だった。 今回は女性入居者に協力してもらった。次の企画の時は男性陣に依頼するつもりだった。 料理は菜乃花と小山、文江が担当した。 山下は「桜」にまつわる映画の紹介をする。 そして節子は「花見」そのものについて語った。「花見の起源には諸説あるんじゃが、奈良時代には始まっていたとされている。もっともその頃は貴族の間での風習で、花も桜ではなく梅だったようさね。 それが平安時代になって、桜へと変わっていった。その頃から桜は、日本人にとって特別な花となっていった。 花見と聞いて有名なものと言えば、太閤秀吉の「醍醐の花見」や「吉野の花見」と言ったところかね。その頃には桜というもんが、武士の生き様、哲学に重ねられていたとも言える。 桜の如く、散り際も美しく……そう言う意味では、果たして私らはこの場にふさわしいと言えるかどうか」 その言葉に、入居者たちから笑いが起こる。「いやいや節子さん、それに皆さんも。そこは笑っちゃいけないところでしょ」「じゃが」 節子が直希の言葉を遮る。「今日の小山さんを見てるとね……老いてなお生に執着し、青年の様に前を向き、日々を戦い生きていく。そんな生き方もありと思うさね」 節子がそう言うと、入居者たちから力強い拍手が沸き起こった。「生涯青春。あおい荘に住む私たちは、これでいこうと思うさね!」 節子が笑顔で、直希
4月最初の日曜日。花見大会当日。 あおいと菜乃花は、朝から大忙しで動き回っていた。そんな二人を見て、直希もつぐみも手伝わせてほしいと申し出たのだが、二人から「今日は私たちに任せてください」と言われ、手持ち無沙汰な状態で時間が来るのを部屋で待っていた。 何が始まるのか、どんな花見になるのか。二人は知らされていない。 そのことに一抹の不安もあった。特に直希に至っては、「大丈夫かな、ちゃんと準備、出来てるかな」と、何度もそう言って覗きに行こうとした。「二人にまかせたんでしょ? だったらもっと信頼してあげなさい。でないと今日まで頑張ってきた二人に失礼でしょ」 そうつぐみに諭され、「そうだよな」と苦笑して座り直すのだった。「自分で動いた方がずっと楽だ、そんな風に思ってるんでしょ」「つぐみお前……どれだけ俺の心、覗けるんだよ」「直希が考えそうなことよ。こんなことぐらい、あおいや菜乃花にだって分かるわよ」「ははっ」「でもね、直希。それじゃ駄目なのよ。確かに不安だと思う。うまくやれるかな、心細くないかなって思ってると思う。でも、それでも……それじゃいつまで経っても、二人は成長しない。例え失敗することがあったとしても、それも含めてあの子たちの経験になるの。私たちはね、直希。ある意味あの子たちの成長の邪魔をしてきたのよ」「確かに……そういうところ、あるかもな」「そうなの。だからね、直希。心配だと思うけど二人のこと、応援してあげましょ。今日はそれだけでいいのよ」「……分かった、分かったよつぐみ」 そう言って笑い、つぐみの手を握った。「体調は?」「大丈夫。今日も暖かくなりそうだし、問題ないわ」「そうか。じゃあ二人のおもてなし、楽しみに待ってようか」 * * * しばらくして、扉がノックされた。
時は流れて。 直希とつぐみの結婚式から、二か月が過ぎた。 * * * 結婚式を終えた直希とつぐみは、クリスマスに直希が貰ったチケットで二泊三日の新婚旅行に行き、そして新居をあおい荘の二階に移動したのだった。 元の直希の部屋はスタッフルームとして開放し、あおいと菜乃花はこの日、来週に迫った花見大会の最終打ち合わせの為、ここに集っていた。 あおい荘で初めて行われる花見大会。直希の強い要望で、企画も含めて全てあおいと菜乃花が任されることになっていた。「当日は大変だと思うけどよろしくね。何か困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれていいから」「はいです。ですがそうならないよう、菜乃花さんとしっかりすり合わせをしておきますです」「直希さんとつぐみさんが安心して楽しめるよう、私たちもがんばります」 そう言った二人の笑顔に、直希とつぐみは顔を見合わせうなずきあった。「それでね、あおいちゃん菜乃花ちゃん。花見を二人にお願いしたいってつぐみに言った時に、もう一つ話していたことがあるんだ。 俺たちはこれからのあおい荘について、ずっと考えていた。タイミング的にも今が一番いいと思って……今日はそのことを二人に相談したいと思うんだ」 その言葉に、あおいと菜乃花がつぐみに視線を移した。つぐみは二人を見つめ、穏やかに微笑みうなずいた。「実はあおい荘に、新しい入居希望の方がいるんだ」「新しい入居者さん……」「年末に話があって、色々と手続きを進めていたの」「また賑やかになりそうですね」「それでなんだけど、二人にお願いしたいことがあるの」「私たちにですか? 勿論ですつぐみさん、私たちに出来ることなら言ってほしいです」「私も、出来る限り協力します」「ありがとうあおいちゃん、菜乃花ちゃん。こういう時、まずは入居者さんの健康状態や既往歴、家族構成とかの資料を集めるところから始めるんだ
続いて始まった披露宴は、大変な盛り上がりとなった。 あおいたちの手作りによる高砂席に座った二人に、それぞれが祝い酒を持ってやってくる。 大役を終えた西村もほっとした様子で、ビールを片手にご機嫌な様子だった。 あおいと菜乃花、そして明日香は料理を手に忙しそうに走り回っていたが、「今日ぐらいはじっとしてなさいよ」と街の人たちに諭され、恐縮した様子で席についたのだった。 街の人たちが料理を運ぶ姿に、流石に直希もつぐみも恐縮して立ち上がろうとした。「いやいや皆さん、今日は皆さんがお客さんな訳で、そんなことをされると困ります」「いいんだよこれぐらい。あんたたちには本当、いつも世話になってるんだから。それに今日の主役はあんたら二人なんだからさ、主役らしく堂々と座ってなさい」「ほっほっほ、それもまたいいじゃろうて。のぉナオ坊や」「西村さん……でも流石に」「いいのよ、直希ちゃん」「山下さん……」「こんな結婚式があってもいいんじゃないかしら。それに……うふふっ、誰に頼まれた訳でもないのに、みんながあなたたちの為に働いてくれて……とってもあなたたちらしい結婚式だわ」「そういうことよ、ナオちゃん」「小山さんも」「このお礼は、これから時間をかけてやっていけばいいことよ。今日は皆さんのご好意を受けて、感謝すればいいと思うわ」「小山さん……ありがとうございます」「私はここに座るさね」「節子さん?」「しばらくあんたの傍におれんかったもんでな、調子がくるってたんさね。ほれその料理、私にも食べさせてくれんか」「ははっ……はいはい、どうぞ」 庭も人で溢れかえり、ここが高齢者専用住宅であることを忘れてしまいそうなぐらい賑やかになっていた。 * * *